須磨海浜公園 SUMA SEASIDE PARK

現在の須磨海浜公園がある場所に、住友家の別邸がありました。明治36年、ヨーロッパ視察の旅に出ていた住友家の15代当主である住友春翠(しゅんすい)が、「イギリスのように、国際的な社交の場や教育の場が必要」と感じたことからこの西洋館は建てられました。以来、春翠自身も家族と移り住むことになったこの場所は、国内外の要人や文化人が交流する場所として愛され、迎賓館としての役割も担うことに。春翠の時代に住友の事業は大きく発展、住友グループの土台がつくりあげられました。また、実業家としてだけでなく美術愛好家としても知られた春翠、彼のコレクションは海外でも認知されていました。現在の須磨海浜公園にも、彼が建てた別邸の一部が残っています。

日本人建築による西洋館のさきがけ

須磨の地を気に入った住友春翠は、明治26年から須磨海岸に面した土地を徐々に手に入れ、最終的に14,363坪の土地を買収。須磨別邸の建築は、建築家で工学博士の野口孫市(まごいち)に託しました。明治36年に完成した西洋館は、幅42m・高さ12m・坪数161坪の大豪邸。西洋文化が息づく内外観はもちろん、古木と若木をおり交ぜた松林の庭園も、春翠がこよなく愛していたといわれています。これほど大きな西洋館邸宅は当時の関西ではめずらしく、日本人建築による本格的な西洋館邸宅のさきがけと評されました。1945年の神戸大空襲で建物自体は失われてしまったものの、跡地には今も門柱や石垣、四阿(あずまや)の基壇(きだん)などが当時の面影を残しています。

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